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パソコン初心者の私が、HPを立ち上げるなど思いもしなかったことに挑戦し始めたきっかけは
些細なことです。
同じRA仲間の方のHPの掲示板で「タグ」に出会ってしまって以来、今までは遠い存在だった
HP開設がより身近に思えてきたのです。
文字とタグを打って、ブラウザで表示させた時の小さな感動が私を動かし始めました。
マーキーと言うタグ一つで文字が流れるように動く、これが始めの一歩でした。
始めは「桃!?」(マーキーのことです!(^^)!)さえも流せなかった私に手を貸してくれた皆様には
心から感謝しています。
リウマチ(以下RA)は身近でありながらも、ただ漠然と関節の痛みや関節炎、神経痛と混同され
ている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
RAは自己免疫の異常で「痛みや腫れ」を引き起こす自己免疫疾患です。進行するにつれ変形
や骨破壊が起こり、身体機能の障害や内臓などへの合併症も起こりうる全身的な病気です。
RA患者は気象、心理的なもの、疲れなどさまざまな条件で、出来る日もあれば同じことが出来な
くなる日もあります。
なまけ、気まぐれ、甘えだと思われることもありますが、病気の特性による体調の変化をご理解頂
けたらと思います。
何も痛めた覚えがないのに、両膝が痛み指が腫れたのは18才の時。何故?今?私がRAになった
の?だろう、とRAの宣告は今でも鮮明に残ってます。
言葉では語りつくせない不安と衝撃の中で、幸いにも、発病後すぐにRA認定医に出会え、発病直
後から 6ヶ月の入院治療が開始されました。
将来の夢に向かって一歩踏み出した直後の発病でした。
20代前半は、若さゆえに頑張れば何とかなると言う思いが強く、家族や親しい人以外には痛くても
全く話せない時期。自分はRAを受け入れても、人に伝えられるまでの受容ではなく、次第に痛み
と関節破壊が進行、日常生活をも支障をきたすようになる。
発病当初のRAと上手く付き合っていこうと言う気力もなく、この頃は治療していても最悪の状態
で心身共に苦しんだ時期。
薬による治療も限界、検査の上でのRAはコントロールできても破壊された膝関節には人工関節置
換術のみしかありません。
病院選びにはかなり迷いましたが、、実績のある県外の日赤にて、膝人工関節の手術を決断。
両膝一度の手術ゆえに、術後の苦しさも体力の消耗もありましたが、3日目から「立つ」ことが可能
に。
あれほどの激痛が全く消え「歩けた」時の感動は、失った者にしか味わえない嬉しさ!
約2ヶ月の手術入院で、8年間痛み続けた膝の激痛が嘘のように消え、私はふたたび歩く楽しさを取
り戻せました。
術後しばらくはスリッパのパタパタ音がこんなに嬉しい!(^^)!ものなのか、再発見でした!
それまでは正しい知識もなかったこともあり手術を機会にRA友の会に入会。
外来で同世代の友達も見つかり、気兼ねなく話せるのは、同病ならではの気楽さです。
友の会の機関紙で広がった全国の友達との文通に始まり、2003年から始めたパソコンでのメール
交換へ自宅に居ながらにして、瞬時に通じるITの時代はあっと言う間に私の生活には欠かせな
い味方になりました。
痛みや変形ばかりのイメージをもたれるRAを、私はもっと多くの方にわかってもらえたら・・
と手術で自由になった身体は心をも変えてくれました。
痛い」から何もかもしなくて安静にしていれば良い病気ではないこと。
出来ること」は可能な限り自分でやりたいと思い、「出来ないこと」は気軽にお願いできる存在
を求めていること。
個人差があるので一概には言えませんが、回りが思うよりはRAの人は「痛み」と付き合いやす
くなっている(そうでなければやっていけないし)ので、それほど悲観的ではないと思います。
元気だった方がある日突然に身体のあちこちが痛み出し、RAの診断を受け少なからずショック
を受けている方も多いはずです。
私の発病した頃に比べれば、RA医療の進歩はめざましいものがあります。正しい治療とRAの
知識を得て、受容した上でRAと付き合うことが最善の方法かと思われます。
誰しも痛みがあれば、つらい苦しい顔になりますね、ですがRAは増減と強弱の個人差はあって
もどこかしら痛いわけで、生涯その表情でいる!?それほど悲しいことはありません。
RAで苦しみながらも笑顔で頑張っている方もたくさんいらっしゃいます。
「笑い」は痛みを薄れさせ心を穏やかにしてくれる一番のくすりかもしれません。
笑顔になれる瞬間の積み重ね!これをいつも心に留めていこうと思うのです。
RA発病後に家族の強い勧めで車の免許を取っておいたことは、障害者となった今は特にかけが
えのないものだと感じてます。健康な方では何ともない操作の一つ一つをカバーするための車選
びは、大変悩むところです。
パワーステアリング、パワーウインドウ、AT車(私はコラムは出来ません、フロアにギヤのあ
るもの)キーの大きさ(小さいと回せません)、ターボ車(アクセルを踏み込む時の負担を軽く
するため)
4WD(冬場の安全性を考えて、この車で初めて4WDに。確かにパワフルですが、ハンドルが
多少従来より重いのが、悩み。。。。)
「私、ドライアイなの・・・」どうも世間では軽視されがちなこの病気。
私も2000年ぐらいからRAの合併症として起こりやすいドライアイと付き合うことになりました。
とくかく「目がショボショボする」「目が乾く」「目が疲れやすい」始めは市販の目薬を使って
様子を見ていたものの、改善せず、眼科受診。
現在の治療は、ヒアレイン目薬(ヒアルロン酸を含んだ人工涙液)リボスチン目薬(子供の頃か
らの体質で結膜炎のため)
それでも、症状が改善されないために2003年12月左眼に涙点プラグでの治療。
多少改善されたものの、どうしても瞬きの回数が減ってしまうパソコンは、時間をコントロール
しなければ、即、疲れが出てしまう状況です。
リウマチには湿度が大敵!ドライアイには適度な湿度のある日が心地いい!
それぞれに応じた自己管理がよりいっそう欠かせないと思うこの頃です。
ドライアイ治療に、時に嬉し涙、悔し涙、感動の涙も必要なものかもしれませんね!?
リウマチ歴22年にして、初めての胃カメラ検査を受けました。
ここ数年、胃痛に伴う腹痛を周期的に繰り返しており、単に薬をガスター→タケプロン(潰瘍治
療剤)と変えるのみだったこと、それから、友人の強い勧めでさすがの私も自分の身体でありな
がら、積極的に検査を望んでいなかったことを反省し、思い切って受けてきました。
始めに、胃の動きを抑える薬を100ccほど飲んで、肩からの注射、より緊張を解せるための注射
(眠気や足元がふらつくことがあるとの説明でしたが、これは患者の意思で選択できるそうです)
をしてもらい喉にはスプレーでしびれるような感覚の中、検査開始でした。
私の場合は、喉に通る違和感や胃部分にカメラが入っている苦痛さえも全く感じることなく、時間
にして15分ほどで完了でした。
検査が心配だと付いてきてくれ医師から説明を受けている母の心配をよそに、終了後に真っ先に
伺ったのは「何時になれば、食べられますか?」でした(*゚.゚)ゞポリポリ
これからは、恐れることなく1年に一度は検査を受け、リウマチ以外の合併症対策も心がけなけ
れば・・と思いました(リウマチでなくてもそんな年代かもしれません^^;)
人工膝関節については、ほとんど怠ることなく年に一度愛媛県まで旅行を兼ねて出かけているの
に他の関節については、ここしばらくレントゲンを受けていなかったことが発覚(-_-;)
痛みのためではなく、ここ数年の骨の様子を知ってみたくて、今は数値的には落ち着いていても
先々、破壊が進んでしまうのでは?って言う恐れはぬぐいきれないと思うこともあるから・・。
変形はあっても、慣れ親しんだ手、肘、本当にレントゲンを撮って見せてもらう度に、RAの残酷
さや怖さ、しつこさを知らされ、これまで、どうもレントゲン後になると肘の痛みが増して来た
りもしました。
明らかに、股関節を除く関節に変化が起こっていることは自覚しているので、やっぱり、そんな
中でも、毎日PCしたり、家事を手抜きで^^;したり、運転したり・・とそれなりにこなしてくれる
ことが愛しく思えてなりません。
自分の手足が好きに思えてきたのは、いつ頃からだったか?分からないけれど、今はそういう気
持ち。
今まで、痛みがつらくてオペを考えたことはあっても、見た目の変形で、たとえば手指をまっす
ぐにしたいとか?そんな思いは一度も思ったことさえないし、自分なりのやり方で、出来ること
がRA患者には、ストレスの軽減になると思えます。